煩わしいことの価値

安曇川の源流域、大津市の葛川(かずらがわ)にお住まいの利用者さんのお宅には、庭に山からの清水がひかれています。
この暑く乾いた夏も、絶えることなく、冷たく澄んだ水がとくとくと湧き出ていました。
口に含めば、すっと体に染み渡り、疲れていた体に元気(源気)がよみがえります。

昨日、この利用者さんと立ち話をしていて知ったのが、この地域で水道の水源の切り替えの計画がある、ということでした。
今、この地域の水道では、近く山からの水を源水にしているそうですが(庭の水源とは別のところです)、近々、びわ湖の水をここまで運んで接続しようという計画があるのだそうです。

そりょあ便利で安心できるかもしれないけれど、おかしな話だと思うし、水がおいしくなくなるのではと心配、と利用者さん。

その話を聴いて思い出したのが、僕の子どもの頃のことでした。
僕の育った余呉町の集落でも、小学校六年の頃に水源のつけかえがありました。
以前は集落のすぐそばの谷水を砂などで濾過した水を、重力まかせで配水していたのですが、その時から町の水道に切り替わりました。町水道の水源は、集落から数キロ離れています。その時から、余呉川の伏流水をくみ上げ、濾過してポンプで配水されるようになりました。

そのとき、蛇口からの水を口に含んだときに感じたカルキ臭は、今でも忘れることのできない、大きなショックでした。

それまでのやり方では、天候によって水量に変化があったり、住んでいる家の場所によって水道圧が違ったり、施設の維持管理に集落の負担があったり、と、色々な課題があったとは聴いています。
しかし、それら煩わしいことから解放された一方で、失ってしまったものがいっぱいある、と僕は思っています。

蛇口から出るおいしい水を失ったということは一番ですが、そのほかに、水を共に分け合う者同士の共同体意識であったり、自分達の水は自分達で守るという緊張感や誇りや仲間意識であったり、天候の変化に対する敏感さだったりも、失われた、と。

「今、鹿対策のネットをはっているの。家の周りにも鹿が出るようになってね…」と利用者さん。
裏に回ると、顎髭をたくわえたたくましそうでやさしそうなご主人と二人、ああでもない、こうでもないといいながら、畑と茶園にネットを這わす作業をされていました。
それは大変そうではあったけれど、懐かしく、温かく、微笑ましい景色でした。

煩わしいこと、って、直感的には避けたくなるものだけれど、僕らが「僕ら」であるために欠かすことにできないものなのかもしれない、と思ってみたりもします。


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