「みんなのどっぽ」~会員交流会2014inどっぽ村~を開催しました(とっても内容が濃かったので、長文です!)

こんにちは。村上です。
去る2月22日(日)、「みんなのどっぽ」~碧いびわ湖の会員交流会 in どっぽ村~を開催しました。
(開催案内:http://aoibiwako.shiga-saku.net/e1118198.html

農業(食)と建築(住)をともに身に付けることで、若い世代が自分の描く”暮らし”と”なりわい”を手にしていけるように、との思いから始まった「どっぽ村」
(どっぽ村のWebサイトはこちらです→「どっぽ村」

はじまりから7年、碧いびわ湖でも、住まいづくり、共同購入、子育て交流会などでどっぽ村のみなさんとご一緒してきました。

そしてこの間、どっぽ村では、いくつもの家族ができ、子どもたちが生まれ、新たな家も建ちました。

今回の交流会では、どっぽ村に住み、暮らしている若い世代のみなさんと共に一日を過ごす中から、ひとりひとりの”どっぽ”(独歩)のヒントを見つけ合うひとときにしたいと考えました。

***



朝10時、メイン会場の大戸洞舎(おどふらしゃ)ゲストハウスに集まってくださった参加者は約20名。お住まいも、年代も、ご職業もさまざまです。どっぽ村からも、企画を一緒に準備くださった小障子菜々子さん、どっぽ村を立ち上げられた松本茂夫さんと清水陽介をはじめ、10名を超える方々が参加くださいました。


(挨拶をする私)

私と菜々子さんからの簡単な挨拶の後、まずは菜々子さんが描いてくださった地図を片手に、どっぽ村を自由に散策しました。



最初に多くの方が集ったのが染織工房。初めて見たり触れたりする染織に、みんな興味津々です。その後、何人かの方はおとなりの陶芸小屋「もへじ窯」も見学。



次は、お家の見学。農家の小障子正喜さん・菜々子さんご夫妻が、松本さんの助けを得て自分たちで建てられたお家と、木こりの伊藤清明さん・利恵さんご夫妻が自分で伐採した木を使い、大工の清水さんたちの手を借りて建てられたお宅を訪問。ぽかぽかと温かい薪ストーブや、晴天だった一日前には55度までお湯がわいたという、碧いびわ湖で設置した太陽熱温水器についてもお話が盛り上がります。
(伊藤さんちの太陽熱利用について詳しくはこちらから)
「春~秋は太陽熱で、お風呂の燃料0円でした!」
http://aoibiwako.shiga-saku.net/e1109160.html









(伊藤家では、毎日、外気温と室内気温を記録。この時は比較的暖かく、外は12.1℃、室内は21.8℃でした)



その次は、大工の清水さんたちの大工小屋を見学。



木造の大空間の中に並んだ木材や機械に囲まれながら、普段はあまり聞けない、大工仕事や木のことについて聞きました。





そして、森へ。猪や鹿の足跡のある雪をふみしめ、松本さんたちが整備をされている森を見せていただきました。



竹藪が伐り払われ、雑木が植えられた森は、明るい光が降り注ぎ、とても居心地がよく、すがすがしい空間でした。





その間、大戸洞舎のゲストハウス前では、小障子正喜さんが薪でごはん炊き。聞けば、ぜひ体験したいとおっしゃっていたお子さんが、炊き始めからずっと火の番をされていたそうです。きっと忘れられない、いい思い出になっただろうと思います。



散策からみんなが戻ったところで、いよいよ、お待ちかねのお昼ごはん。深尾美紀子さん(うぐら食堂)・寛史さん(コルトラコーヒー)のお二人が、どっぽ村の食材をふんだんに活かして調理してくださったスペシャルランチです。



美紀子さん作の素敵なイラストメニューと見比べながら、お皿の上の一品一品を、ゆっくり味わいました。



あちこちから「おいしい!」の声。ご飯もお味噌汁もおかわりに立つ人が後を立ちません。散策中で出会った人同士、舌鼓を打ちながら、わいわいと話が盛り上がります。



おおよそ落ち着いたところで、いよいよ、会場全体での交流会へ。

まず私と菜々子さんから"これからの暮らしとなりわいについて、みんなで考えたい" "これまでやってきたお米の共同購入などに加えて、どっぽ村と碧いびわ湖でできそうなことを見つけたい"とテーマを投げかけさせていただきました。

どっぽ村のある上山田区の地元住民で、森林整備活動をきっかけにパートナーと出会って結婚された若いご夫婦や、同じく地元の方で獣害対策をきっかけに狩猟をされるようになった方(この日のお昼にいただいた鹿もその人が獲られたものでした)のお話を皮切りに、昨年から米原市曲谷に家族で引っ越して自給型の暮らしとなりわいづくりに取り組まれている方、湖南市で田舎暮らしをしたいと思っているけれど土地が見つからなくて困っている方などから、今日の感想や質問などをお話いただきました。

そんな中、5年前に大阪からパートナーと二人で高島市の今津に移住し、セルフビルドで家を建てられている池田卓矢さんから、興味深いお話が伺えました。



(以下、「 」で引用しているコメントは、私の記憶とメモをたよりに書き起こしたものですので、ご本人の発言の言葉そのものとは細かなニュアンスの違いがあろうと思います。あらかじめご容赦ください。)

「もともと、田舎暮らしに興味はなかった。でもパートナーが通っていた長野の自給自足村の方々から”ライフラインが無くなったらどう生きていくか?” とのメッセージをいただき、僕ら二人はその言葉に衝撃を受け、自分たちでも何かしよう!と動き始めた。」
「たまたまおじいちゃんが今津に40年前に買っていた土地があった。森になっていたその土地を開拓開墾することから家づくりを始めた。2年間、仕事もやめ、貯金で生活していた。パートナーもアーティストなので、やっていけた。」
「今では薪ストーブの設置を主に、イベントの企画、別荘の管理、ゲストハウスの運営などをしている。最初から、特にこんな仕事がしたい、というものは、なかった。自分たちの暮らしを自分たちでやっているうちに、周りの人から頼まれることが出てきて、それに応じているうちに、いろんな仕事ができるようになってきた。」
「家も自分で建てているし、薪ストーブと薪ボイラー、太陽光発電と太陽熱温水器と雨水タンクを設置していて、食料もつくっているので、基本的にエネルギーと食べ物と住まいは8割自給できている。だから収入は2万円くらいあればいい(そのうち水道光熱費は2千円くらい)。その分無駄に働く必要がなく、自由な時間が持てる」

「2万円!」と、驚きの声が上がります。

こんな若い世代のやりとりを受け、どっぽ村を始めた張本人である、元祖「どっぽ」の松本茂夫さん(家も建てる農家・大戸洞舎)と清水陽介さん(米もつくる大工・エコワークス)にもコメントをお願いしました。
すると、お二人とも、ご自身の若い頃のお話をしてくださいました。


(右が松本さん、左が清水さん)

松本茂夫さん
「25才で上山田に戻ってきた時は、無職で、なんの計画もなかった。ちょうど長女の菜々子(現:小障子奈々子さん)が生まれた頃。連れ合いがピアノの教室などをしていたので、なんとかなった。」
「当時は、いい会社に入るのがステータスの時代だったが、サラリーマンになるのはいやだった。でも、働くのが嫌なわけではない。だから、頼まれることはなんでもやった。"なんでもやりまっせ"と。ちょうど”便利屋”というものが出てきた頃で。大工のアルバイト、左官の下地なども。30代半ばまでそんな風に暮らしていた」
「その間、娘の幼稚園の送り迎えも自分がやっていたり、役場での申告でも納税しないことを変な目で見られたり”非国民”と言われたりもした。でも、それを”うしろめたい”と思わなかった。
「15年ほど前から、専業農家となったが、それはあくまで"仕事"なので、必ずしも自給自足的な暮らしとはいえなかった。そろっと、森づくりなどをやりながら、以前のような暮らしに戻れればと思っている(笑)。」

"いったん思い切って仕事をやめてみること"、"頼まれることをやっているうちに仕事ができてくる"、それから”パートナーが手に職を持っていた”という、池田さんと松本さんの共通点を、興味深く感じました。

次に清水陽介さん
「僕はこので生まれ育った松本さんとは違って、長浜市内の生まれ。10年ほどサラリーマンをしていた。でも、機械のように使われる働き方がいやになって、3年間、自転車での世界旅行に出た」
「ところが旅を終えて帰ってきても、何もできていない自分がいた。もともと、ものづくりが好きだったので、大工の弟子入りをして、それから10年、働いた」
「しかし、自分で食べるものをつくれていないことに違和感を覚えるようになり、思い切って、農業をしたいと、この上山田よりもっと不便な、旧余呉町中河内(福井県境にある集落)に家族を連れて移住した。ところが、仕事がない。パートナーに手に職があるわけでもない。そこで働きに出た。すると農業もうまくいかなくなり…。結局、7年でその村を離れ、再び、建築に戻ることにした」
「再び建築を始めるにあたっては”ゴミにならない家”をつくろうと決めた。おかげさんで、今に至っている。農業は、自分の家族が食べる分はつくる、というスタイルにしている」
「先ほど、土地がない、という話が出ていたが、最近は、土地や建物を手放したいという話も来るので、土地や建物は、探せばあるとおもう。問題は仕事だと思う。」
「また、自分には"仲間"がいなかったが、今の若いみなさんはこうやって、周りにいる。」

こうして清水さんも、決して最初から今のスタイルができたわけではなく、さまざまな紆余曲折を経て今日に至られた、ということをみんなで知ることができました。

ここで参加者の方から、「移住してきた皆さんと、もとから地元にお住まいの皆さんとの交わりはどんな感じか」との質問があり、茂夫さんと、移住してこられた伊藤清明さんから「研修の頃はそれほど接点がないが、世帯を持てば地域の一員として受け入れられている」という話がありました。

そして伊藤さんが、かつて単身時代にいくつか過疎の山村に入っていた経験を元に「受け入れてもらえるかどうか、というのは、本人の姿勢次第ではないか」とおっしゃると、清水さんが「そうとは言い切れない。ここは、集落の田んぼの大半を耕作している松本さんがいてくれることがとても大きい」と、ご自身の経験に照らしておっしゃいました。

ここで浮かび上がってきたのが、地域における米農家の存在の大きさです。ここで、同じ湖北地域(旧虎姫町三川)でお米を栽培されている若手農家、吉田農園の吉田道明さんにもコメントをいただきました。
(碧いびわ湖のでは大戸洞舎の無農薬米を共同購入していますが、年々、人気が高まり、今年度はすでに収穫分すべての予約が満杯になってしまいました。そこで、吉田農園さんにご協力を仰ぎ、無農薬米をご希望の方には吉田農園さんの無農薬米をお届けさせていただいています(大戸洞舎のお米も減農薬米はご予約いただけます))



(左端が吉田さん)

「15年前から農家をしているが、もともとは農家をするつもりはなかった。父親がやっていた農業に反発していたので。」
「農業をするきっかけになったのは清水さんと松本さんとの出会い。その頃清水さんが"地球村"の活動をされていて、環境を守っていく上での農業の大切さを教えてもらったことがきっかけだった」
「僕がやっているのは"求められるお米づくり"。買ってくれる人に求められる、安心でおいしいお米をつくりたい。それまでの農家は、農協が買い上げてくれるから、と、消費者のことを考えずにつくっていた。自分の家族の食べるお米は有機肥料などでこだわっておいて、売る方は農薬も使い、手間をかけず"きれい"な米を栽培することを考えていた。」
「今は40haのうち15haを無農薬、25haを減農薬で栽培している。無農薬の栽培は簡単ではない。草だらけになることもある。減農薬だと1反(0.1ha)で8俵半(1俵は60kgなので510kg)とれるが、無農薬だと6俵くらい。去年は3俵とか、草だらけでまったく収穫できない田んぼもあった。」
「最初は父と家族といっしょに農業をしていたが、無農薬での米作りをしたくて、徐々に父親と意見が合わなくなった。そして、もう自分に任せてくれといって、経営を継いだ。」
「普通のお米の倍くらいの値段で販売したが、お客さんがついてくれるようになって、父も認めてくれるようになった
「土地がない、という話があったが、田舎で暮らそうと思えばまず”仕事”から入るのが一番だと思う。貸したい土地や建物があっても、得体のしれない人には貸せない。でも、農業のように地域を守る仕事をしているとコミュニティに受け入れてもらえるようになる。実際、うちで働いていた人で、親戚の親元の家が借りられて1万円/月で暮らしている農家もいる」

さらに参加者の方から、「松本さんや吉田さんは、TPPをはじめとする今の農業政策をどう考えているか」「農協との関係をどうされているか」といったことについて、質問が出ました。

吉田さんからは、
「自分の農地は今のままでやっていけると思う。しかし、そうではないやり方をやっている他の農家がダメになっていきそう。そうすると農村の景観が維持できなくなる。」
「農家はお米を生産しているというだけでなく、田んぼを守ることで、景色や癒しといった
農地の"多面的機能"を保っている役割がある。だから自分たちだけがよければいいのではなく、地域全体の農地をどう守っていけるかをみんなで考えないといけない」
とのご意見をいただきました。

また松本さんからも
「農業は国の補助金などがあって初めて成り立っている。うちでも年間900万円くらいの補助を受けているし、吉田君のところならもっと多いだろう。それでも、うちや吉田君のようなところはやれているが、農協に出しているような農家はやっていけない。特に昨年は米価が下がり、1俵で9000円などという値がついていて、これではとてもやっていけない。」
「政府は、”もっと大型化して集約し効率化すればいい”、などといっているが、どだい海外の大規模農家とは勝負にならない。」
「いつまでもつづく成長なんてものは、ないと思う。」
「このままでは日本の農業の多くがつぶれるだろう。そしてそれは、単に”農業者”の損"なのではなく、”国民”全体の損だと思う。」
と、投げかけをいただきました。

また、吉田さんからは
「今日あらためて松本さんの田んぼを見ると、やっぱりすごいなぁ、自分はよおせんなぁ(とてもできないなぁ)と思う。段差はあるし一枚の田んぼは小さいし」
とのコメントもいただきました。吉田さんの農地は、平地で大面積。それに比べて大戸洞舎の田んぼは農作業にも除草にも、獣害対策にもずっと手間がかかります。

今ある田園風景を守っていくためには、私たちが、一購入者(消費者)として、農家のなりわいがどう成り立っているかを知り、自分が支払っているお米の価格の妥当性を考えることが必要である、ということはこれまでもよく認識していました。しかし、それだけでなく、一納税者(国民)として、農家全体のなりわいや農地の保全がどんな政策によって支えられているかを知り、そのよりよいあり方を考え、整えることに参画していくことが必要、ということを、強く認識するやりとりでした。

さらに農業の話題に関連して、二人の若手の無農薬野菜の農家さんからも発言をしていただきました。

お一人は、10年間、農事組合法人で農業をされた後、昨年から独立して旧湖北町山本で無農薬の野菜とお米づくりをされている七里俊光さん(はんのき農園)。

今は青年就農給付金という公的支援を受けながら、5年の間に自立できるよう、試行錯誤をされているとのことでした。次の予定が迫っていたので少しの時間でしたが、独立のきっかけや、目指している農業などについてお話していただきました。


(七里さんが名刺代わりにとおいていってくださった野菜。お顔を撮りそびれましたので代わりに。(苦笑))

もう一人は、近江八幡市、西の湖の近くで「百菜劇場」をされている廣部里美さん


(右端が廣部さん)

1haの農地を使い、集落営農のおじさんたちにサポートしてもらいながら無農薬の農業をされています。その中で感じられている課題をお話してくださいました。
また、近年は自分たちの無農薬の畑を野外自主保育のお母さんたちのグループ(ひとつぶてんとう園)が使ってくださるようになり、新しい可能性を感じている、とのお話も伺えました。
(碧いびわ湖では百菜劇場の無農薬米粉の共同購入もしています)

…と、お話が深まってきたところで、そろっとお開きの時間が近づき、みなさんから自由にコメントをいただくことにしました。

どっぽ村の伊藤利恵さんからは
力をもらいました。特に2万円の話は(笑)。」
「また、(普段近くにいても、なかなか聞くことのできない)農家さんの思いに触れることができたのもとてもよかったです」
とコメントをいただきました



つい先日に私が講師としてお伺いした京田辺市での雨水学習会で出会った、シュタイナー学校に娘さんが通っているというお母さんからは「子どもたちと泊まりがけで来て、森の整備やツリーハウスづくりをしたりして、里帰りするおばあちゃんの家のような関係をつくっていきたい」といったアイディアが出たり、

前述の池田さんからは「自分のところではウーフ(WWOOF)という形で、働いてもらう対価を宿泊と食事という形で提供する、お金の支払いを伴わない形で整備を進めている。また、これから三軒目の家を建てるが、セルフビルド塾を開催し、みんなで学びながら建てる家づくりとしてやる。こういうことはどっぽ村でも取り入れてもらえるのではないか」との提案がありました。

そして最後に、近日開催予定のイベントを企画されている方々から、開催の告知をしていただいて、今日の交流会は終了いたしました。

交流会終了後も、居残って盛んに話し込む方、多数。参加者の方からも、どっぽ村の方からも、会えて良かった、濃い話を聞けてよかった、と、喜んでくださる声をお聞きして、あぁ、企画させてもらってよかった!と思える一日でした。

そして一日を振り返り、今日集ってくださったみなさんとのつながり、碧いびわ湖の会員間のつながりをさらに育みながら、ひとりひとりの暮らしとなりわいを、互いに支えあいながら育んでいきたい、との思いを強くしました。

とともに、この日、特に痛感したのは、農地を守る、森を守る、ということは、農村に暮らす農業者や林業者のなりわいの課題であるとともに、お米をいただき、木をつかい、そして水をいただいている、私たちすべての県民、国民にとっての課題であるということ。

そしてその気づきを、身の回りの人たちに広げていくことの必要性でした。

この日集うことのできた関心の高い人たち同士だけでなく、今はその大切さに気づいていない人に、いかに自分たちの気づきを広め、共に考え、変わっていくことができるか。

すぐに答えは出ませんが、あきらめずに、取り組みを続けていればきっと、どこかで道が開けると思います。

そう思えるのは、今日お話くださった皆さんが、いろんな壁にぶつかりながらも、自分の思いを持ち続け、乗り越えられてきたお話を、たくさんお伺いできたから、だと思います。

きっと他の参加者の皆さんもそんな風に、お一人お一人の次なる「一歩」を見つけられたのではないかと思います。

そして、ひとりひとりの「どっぽ」を共に見守り、支えあいながら歩み合うことで、より豊かに、より安らかに、より健やかに行きていける社会を育てていけるのだと、思います。

風通しがよく、温かい陽が降り注ぐ、あの雑木林のように。

今日お集まりくださり、濃い、アツい時間を共にしてくださった皆さん、ほんとうにありがとうございました!

>>買うことで、どっぽ村と、つながろう。
「どっぽ村の恵みの共同購入」
http://aoibiwako.ocnk.net/product-group/4














(会場の外では、子どもたちも、のびのび遊んで過ごせました。伊藤さん、小障子さんはじめ、父ちゃんたちの協力のおかげです。ありがとうございました!)
  


県と市町の職員さん向けに太陽"熱"活用のお話をさせていただきました。

こんにちは。村上です。

去る2月13日、大津の県庁で開催された「第13回 再生可能エネルギーにかかる県市町研究会」で、太陽熱利用の事例紹介をさせていただきました。

同研究会は、再生可能エネルギーの普及に携わられている、県と市町の担当者さんが情報共有・意見交換を行う会で、年3~4回開催されているそうです。


(滋賀県庁HPより転載)

私からは、「太陽“熱”を地域で活かす~お日様パワーで環境・経済・防災に優れたまちへ~」と題して、これまで取り組んできた太陽熱利用機器の設置実績を元に、

1.碧いびわ湖の取り組み
2.太陽熱利用事例
3.太陽熱利用機器の分類
4.太陽熱利用の意義、世界の動向
5.太陽熱利用の効果と課題
6.太陽熱利用促進のための行政施策事例と提案
7.太陽熱利用促進のための多様な主体の有機的連携の必要性

についてお話をさせていただきました。

(当日のプレゼンテーションとレジュメをこちらからご覧いただけます)

プレゼンテーション


レジュメ



 (撮影:中川修治さん)





私からは

「地域に降り注ぐ雨と太陽の恵みを最大限に取り入れ循環させる"森のようなまち"へと変えていくことで、"地域からのお金の流出"、"資源の枯渇"、"環境の汚染"のない、"ほんとうの豊かさ"のあるまちが実現できる」
「家庭でのエネルギー消費の3割は給湯熱。太陽熱利用でその3~4割ほどがまかなえる」
「業務用でも福祉施設や病院などでは給湯エネルギーの使用量が多い。太陽熱でその2割程度をまかなうことができる」
「太陽熱利用と木質バイオマス熱利用とあわせることでCO2ゼロ、地域エネルギー100%の給湯も可能」
「県の計画達成には、人口10万人あたり200台/年の導入を進める必要がある」
「普及上の課題は、人材育成、社会的投資、普及啓発、知見の蓄積の4つ。総合的な行政施策の展開が必要」
「そのためにも、住民、NPO、事業者、研究者、行政の有機的連携が不可欠」
「太陽光発電に補助金を出すなら、太陽熱利用にも補助金を出すこともご検討いただきたい。しかし、補助金は普及のための一つの方法にすぎず、制度を作っただけでは広まらない地域住民の主体的な取り組みの支援、公的融資制度づくり(京都市では実施)、公共施設での導入(国の補助金も活用して)、研究の推進や支援などを総合的に進めて、多様な主体の好循環をつくる、という視点で取り組んでいただきたい」
といったことをお話させていただきました。

続いての質問タイムでは、残念ながらどなたからも質問が出ませんでした。気合を入れて準備をし、時間を守って発表をした割に甲斐がなかったのは、ちょっと残念でした。

でも、その後の各市町の取り組み発表の中で、大津市、栗東市、湖南市においては、太陽熱利用の推進についても今後、検討を進めていく方針であることがお伺いできましたし、各市町の担当者の方と顔を合わせることができたことは、一歩前進でした。

また、県の温暖化対策課で担当されている、家庭での太陽光発電とセットでの省エネ導入補助金制度(個人用既築住宅太陽光発電システム設置推進補助金)において、現時点では太陽熱利用機器へのが含まれていないことも知ることができ、この会議の後で、その検討についても直接担当の方とお話できたことも有意義でした。

全体として受けた印象としては、担当者の方々は着実に再生可能エネルギーの普及に取り組んでいただいているものの、再生可能エネルギーを普及させること自体が目的になっていて、それを通じて地域経済や地域福祉、防災等を向上させていく、という、相乗効果への関心が希薄であるように感じました。
具体的には
・設備の導入量に重点が置かれていて、地域の経済循環(お金の流れ)をどう変えるかという視点が弱い(地域外の資本によるメガソーラーと市民出資による共同発電所が同列に扱われているように見受けられたことから。県の目標が「設備容量」でしか示されていないことも影響していると思われます。)
・一体となってに取り組むべき創エネ(供給)と省エネ(需要)の施策が別々になっていて、「地域の中で需要と供給のバランスをとりながらエネルギー自給率を高める」という視点が欠けている用に見受けられたこと
・上記との関連で、太陽光、太陽熱、水力、バイオマス等の地域内でのベストミックスについて検討されている市町が少ないように見受けられたこと
をいったことです。

おそらく、各市町が限られたスタッフの中で、これだけ多くの行政課題に取り組んでいくことは困難であろうと思いますし、特に規模の小さい町はなおさらです。だからこそ、市民、NPO、事業者などとの相互連携を進めていくことが大切だと思います。

また、県、あるいは関西広域連合としては、域内の研究機関や大学と連携し、NPOや事業者の参画を得ながら、各市町がエネルギー施策を策定していくにあたっての知見の集積を進め、市町が必要とする情報を提供していくことであろうと感じました。

たとえば農業試験場や水産試験場のような地域エネルギーに関する専門調査研究機関や、地域のエネルギーマネジメントを担う地域住民、NPO、専門技術者などを育成するエネルギー人材養成機関などを、NPO、事業者、各市町や関連研究機関と連携しながらつくりあげていくようなことです。

そのような動きを作っていくためにも、この日のようなエネルギーに関する公共政策について一同に学び考えることのできる場が、市民・研究者・事業者にもより積極的に開かれたものとなり、「持続可能なエネルギー社会」を地域からつくっていくために、共に学び合い、議論しあう場にしていくことが重要であろうと思いました。

先の述べたように、再生エネルギーの普及と省エネルギー社会の実現は、決して行政が先導して進めるべきものではなく、地域の住民や民間事業者の主体性を引き出し、研究者や職員が民間の自主的な取り組みに寄り添いながら、支えや調整を担いながら進めていくものだと思います。その認識を、行政の皆さんも、そして私達市民も、民間の事業者さんも、共に共有していくことが、まず大切だと思いました。

次年度から滋賀県では、再生エネルギーに関する部局の一本化も進められると聞いています。

碧いびわ湖でも引き続き、ひとりひとりの住まいや職場を、身近な自然とつながるものに変えていく取り組みを進めながら、行政の皆さん、研究者の皆さん、事業者の皆さん、それぞれとの連携を、これまで以上に深めながら、持続可能なエネルギー社会を一つ一つの地域から作っていきたいと思います。

今日お話したような内容をもとに、各地での学習会にも積極的に赴きたいと思っております。お住まいの地域で循環・自立型の住まいづくりやまちづくりを進めていきたいという思いのお持ちの方、ぜひ碧いびわ湖まで、お気軽にご連絡下さい。一般の市民の方、事業者さん、行政の方、議員さん、研究者の方、どなたでも歓迎です。

↓ 太陽熱活用についてもっと詳しく知りたい方は、こちらをクリック!
「暮らしに活かそう!太陽熱♪」
http://aoibiwako.shiga-saku.net/e932030.html  


雨水学習会、大反響でした!(京田辺市にて)

こんにちは。村上です。

去る2015年2月8日(日)、京都府京田辺市で開催された市民主催の雨水学習会で講師を務めさせていただきました。

最初にお話をいただいた時は、2時間半というもの長時間を、雨水だけで語りきれるか?と少し心配にだったのですが、いざ蓋を開けてみたら、講演、実験、相互交流で、予定時間を超過する盛り上がり

終わった後も、スタッフの方が引き止めてくださって駅前の喫茶店で話し込み、深い話まで意気投合。忘れられない一日となりました。雨のご縁に感謝です。

京田辺市では、今の春から雨水の助成金制度がスタートする、との情報も。今日お集まりくださった皆さんを核にして、京田辺市での雨水活用がどう広まっていくか、楽しみです


主催者の斎藤佳子さん。昨年8月に「生活者ネットワーク・京都設立準備会」での私の話を聞いて、地元京田辺で開催したい、と、企画をしてくださいました。


この日のポスター。町のあちこちに貼ってくださったそうです。


美味しい天然酵母パン、オーガニックコーヒー、福島の被災地の子どもたちを支援するグッズ販売なども。壇上にもお花を飾ってくださいました。




まず私からのお話。


(撮影:佐藤勝広さん)


自分自身と碧いびわ湖の歩みや取り組み、雨水活用の実例をご紹介しました。


途中で、「雨水が洗濯にいい」ことを実感していただくための雨水の泡立ち実験を交えました。





スタッフの方が事前に準備してくださったいろんな水と、雨水に、同じ量のせっけんを入れて泡立ちを比較。
雨水の泡立ちの豊かさに、思わず歓声があがります。


なぜこんな現象が起きるのかを解説したあと、実際に雨水活用をお家で実践するための技術的な説明をして、質問をお受けしました。

いったん休憩をとったあとは、「地域ぐるみで雨水活用を進めていくためには?」をテーマに会場全体でディスカッション。

まずは私から、雨水活用が地域に及ぼすさまざまな効果の整理と、雨水利用推進法に関するお話、そして「地域コミュニティでの取り組み」「住民、NPO、事業者、研究者、行政の連携」「行政による多分野、多方面でのサポート」の大切さについてお話させていただきました。
そして、斎藤さんの進行のもと、参加者の皆さんから自由に感想や意見を述べていただきました。







「子どもたちにはいつも、水道の出しっぱなしや電気のつけっぱなしを"もったいない!"って叱ってるんですが、今朝の雨も溜めずに流してしまってる自分こそ"もったいない"って思いました(笑)」(小さなお子さんをお持ちのお母さん)

「外仕事なので、今まで雨は嫌いだったのですが、今日のお話を聞いて、雨が好きになりました」(造園屋さん)

などをはじめ、市会議員さん、工務店の方、82歳のせっけん運動の大御所さんからまで、多様な方が、いろんな思いを語って下さり、大いに盛り上がりました。

斎藤さんによれば、京田辺市では、今年から雨水の助成金制度がスタートする、との情報も。今日お集まりくださった皆さんを核にして、京田辺市での雨水活用がどう広まっていくか、楽しみです。

今後、滋賀県内でも、各地でこんな学習会を開催していきたいと思っています。一般の市民の方も、事業者の方も、行政の方も、議員さんも、研究者の方も大歓迎です。ご関心のある方はぜひ、碧いびわ湖まで、お気軽にご連絡ください。

なお、この日に使用したレジュメは、下記からご覧いただけます。


http://www.aoibiwako.org/presentation/150208note_kyotanabe_amamizu.pdf


↓ 雨水活用についてもっと詳しく知りたい方は、こちらをクリック!
「はじめよう!雨水活用」
http://aoibiwako.shiga-saku.net/e457729.html